2012年4月24日火曜日

余韻の覚めない2日目

楽しかったウルトラ、脚の痛みを感じながら未だ余韻にひたっています。


脚の回復もいい感じ
走り終えた当日は、ゆっくりしか歩けなかった。雨が降ってても、小走りできずゆっくり歩きながら移動していた。
車のシートに座るも、自分の足を運転席に乗せるために手で持ち上げて座ってた。


翌月曜日、仕事で2,300m4人で歩いて移動する必要があったけど、ついて行けなかった。
ウルトラの話をしたら、盛り上がりました。
階段なんて、壁か手すりがないと上がれない、降りられない。
歩道と道路の段差を降りるのもたいへんでした。


今日、火曜日、まだ筋肉痛はけっこう残ってるが、だいぶ楽になった。
よく聞く脚のむくみは感じられない。




ウルトラのダメージは、完全に脚でした。内蔵系はほんと元気。

その脚も超回復を実感できて、また走りたい気持ちで、未だ夢の中にいるよう。

また行きたい、今からウルトラシーズン、ほんと行きたい、行きたい




こちらは、112kmスタート後、100kmのスタート前のゲスト、はるな愛さん
走ったのかな?


2012年4月23日月曜日

初ウルトラ体験

はじめに

今回、機会があってウルトラマラソン(100km)を走ることが出来ました。家庭の事情もあってなかなかエントリー出来ませんでしたが、機会をくださった方にはとても感謝しています。

スケジュール

21日(土)夜11時頃自宅を出て、白麓公園(スタート会場)を目指します。時間があれば仮眠、22日(日)午前3時半より、受け付け開始。5時スタート
ゴール後、直帰、翌日朝から仕事
このような予定をしていました。

準備(1週間前)
準備不足もあり、1週間前から準備に入りました。やったことは、
禁酒、但し、慣れないことをすると寝不足になるので中日1日だけ飲みました。
当日、肝臓へ負担への対応です。
鉄サプリを飲む。
検査でも赤血球が少ないのは知っているので、とりあえず1週間は飲むことにしました。
疲労抜き
今更トレーニングもないので、ひたすら疲労抜き

前日(土曜日)

徹夜で会場入り、そのままスタートということもあり得る中、休息をとれる最後のチャンス。
土曜日は下の子(3年生)と一緒に遊ぶ日でしたが、遊び場を布団の中(^^; ばあちゃん家(^^;; など、なんとか肉体的負担の少ない場所を選択しました(普段は外出、肩車で移動がほとんど)
仮眠も可能な限りと思ってましたが、さすがに全く無理でした。

土曜の夜、兄ちゃんの塾の迎えを終えてやっと出発です。10時半でした。

当日(4/22日曜日)

高速のSAで10分と30分の仮眠を2回とりながら、午前2時会場入り、とても眠い。受付まで再度仮眠、けっこうすっきりしました。
3時半前、受付完了、さあここからが忙しい。
ゼッケン付けて、RCチップも。持ち物チェック&エイド預け物チェック、よし、よし、っと進めたがとても自信がない。ほんとうにこれでいいのだろうか。
RCチップも2個あったので、履き替えシューズ用なんだろうなと、別々に付けていましたが、会場を歩くランナーさん左右に付けているので、間違いに気づきました(^^; 気づいて良かった~

スタート20分前、一緒に来ているはずのKちゃんに電話するが出ない。時間がおそいからか・・・
トイレに行きたい、時間がかなりきわどいが並ぶ。
スタート会場もわからないまま10分前、警備員に聞いて駆け込む。間に合った(^^;;

Kちゃんも○休さんも見つからない。時間もない、とりあえず並んじゃえ。割り込んで少し前の方(^^; キョロキョロしてるとKちゃん、同じようなところに入っちゃうんですね。スタートから一緒出来ました。

キロ6分ペースを維持、雑談しながら走れるのもウルトラならでは、楽しい。
スマホは気になったけど、見ないことにしました。主にLINEが気になったんですけど、走りに集中しようと。

10km、20kmと順調、、?いや、17km付近ですでに足が張ってきた感じがありました。でも、ペースを落として軽減できるものでもなく、かえって負担がかかりそうなのでペース維持。

途中10数キロから、なんか青い服の女性ランナー真後ろにひっついてるなぁ、って思ってましたが、同じようなペースだとそうなるのだろうと思ってました。雲の隙間から、富士山らしき雪山が少しだけ見えて、「あれ富士山かな」ってKちゃんに話しかけたら、「そうそう」って答えたのはその女性ランナーでした。その後しばらく話を聞くと、昨年の富士五湖が10時間代だったのでサブテンペースで走ってる自分らを追走してたそうです。先月は大江戸小江戸を走ったそうで、今からウルトラシーズンでとても楽しそうでした。後は富士五湖のコースの様子をいろいろ教えて頂きました。

信号待ちで少しだけ前を走っていた僕だけ離れて、20km過ぎだったかな、から一人旅。やはり、足の張りは気になりましたが、行けるところまで行くしかない。

35km付近で72kmのトップランナーに追い越され37km付近で「よっ」と背中を叩いてワイナイナが去って行きました。前にいたランナーも突然に挨拶にとても嬉しそうでした。

さて、行けるところまで、は早かった。
39kmくらいから、膝下とちょうけい靱帯が痛みだし、41km時点で急速なペースダウン。生まれて初めてのロキソニン注入しました。47,8kmで痛みが収まりはじめた感じで、また少し走れるようになってきました。
ここら辺りで先ほどの女性から「頑張れ」と声を頂き、追い越して息ました。
その後、Kちゃんにも追い越されました。
60km過ぎ、ロキソニンの飲み方も分からないまま、痛みに負けて2回目の注入。もうありません。このまま行くしかない。

また痛みは和らぎますが、筋肉痛はどうにもならない。

そんなこんなで、とりあえず調子のいい内に距離稼ぎ。走っていくと前に○休さんとすれ違う。大声で「○休さ~ん」と声をかけると「おぉ?! ぉぉ? おーーーー」みたいな、とてもびっくりしたリアクションをありがとう。想定外の人間から突然声をかけてしまってすいません。いいリアクションたのしかったです。
と、少ししたら今度は関東からきているAZMさん、こちらは落ち着いて{あれ、・・・・・また電話します」って、うーーん、これも冷静すぎて素晴らしい。

次にKちゃん、胃薬ある?というので、渡しました。少し体調も気になりましたが、そのまま走ります。

90kmの計測と一緒にエイド、少しですが食べて飲んですぐスタート。っっと思ったら、足が激痛で進めない、ストレッチ、マッサージ。ついさっきまで走ってたんだからと、ゆっくり歩き始めて、先ほどの足の感覚を取り戻そうとする。歩幅10cmくらいで走る恰好をしてみる。
いろいろやって、とても遅いペースですが、なんとか歩く人よりは速いペースを回復。行けるところまで行くしかない。
信号でストップ、、、まさか、、、やっちまった。また進めない。同じように、ちょこちょことやってみるが、先ほどよりずっときつい、痛い。顔をしかめて、、、バスの窓から指を指されてる、そりゃどう見ても痛そうだもんな。
そしたら、「大丈夫ですか?」ウエストバックからエアサロンパスと取り出し、「使って下さい」、と渡される。見ると、新品。「いや、これ新品じゃないですか」、「どうぞ、全部使って下さい」と言い行ってしまった。追いかけられないし、ゼッケンはと見ると、レインポンチョで読めない。とりあえずありがたく使わせて頂きました。しかし、走れるような緩和にはならず、その後はずーっと顔をしかめて、いやずいぶん前からですが、すごい形相で走っていたんだと思います。95kmくらいからあきらめて、歩く。歩く。歩く。
長い、寒い、早く終わりたい、今何時だ、ガーミンは電池切れで、時計の時間だけが残りを予想させる唯一の手段。
普通に歩く人よりとても遅い、左足はつま先を外に向けてしか歩けない、どんどん追い追い越される、Hさんに申し訳ない、悔しい、とにかく前に行くしかない。90km過ぎてから何人に追い越されたろう、100人、200人もっとたくさんたくさん追い越されたように思う。仕方ない、これが現実、今の実力。
コース途中でランナー風の応援の人に聞く、「残り何キロですか?」、「上りが2km、下りが2km弱です」とのこと。まだ4,50分もあるくのか、、、とにかく進もう。

上りの5kmは歩いた人もラスト1kmちょっとの下りは皆走り始める、僕だけ走れない。またどんどん追い越され、追い越され、、、
そして、ゴール。
長かった、とにかく寒かった。
そのまま車に直行して着替え、車の暖気で身体を温める。


エイド

エイドは充実してました。ほぼ5km毎にいろいろ。前半は全く立ち寄らず、30kmか35km付近のエイドが最初。しかも、ドリンクのみ。携帯のエナジーゼリーを洗い流す感じで飲みました。
後半、足が動かなくなってからは、うどん食べたり、チョコ、ホットドリンク、いろいろいっぱい頂きました。走り終えてもお腹はぜんぜん減ってなかった。

いろいろ、とても助かりました。
前日夜と当日朝のシャクヤクカンゾウトウ、痙るのを防止するため飲み、一度も痙ることなく走りきりました。
ロキソニン、薬局で売ってるロキソニンSじゃなくて、病院で処方される方。たしかに痛みには効果ありました。今度は薬の勉強もします。
ガストール、こちらも病院で処方されたもの。70km手前Kちゃんに渡して、役にたったようです。
OS1も、走り終えてからKちゃんに飲んでもらいました、本人も持ってましたけど。

応援

エイドだけじゃない、沿道の応援。フルでもハーフでももちろんありますが、一つ違うと感じた物がある。苦しんで、走れなくなったときの応援、フルもハーフも同情されているような、ちょっと悔しい感じ。僕の思い込みもあるかもしれませんが。
ウルトラの応援は、ほんと、よくここまで来た、あと少し、頑張れ!みたいに聞こえて、素直に声援に応えることが出来ました。
追い越して行くランナーもすれ違うランナーもたくさんの声援を頂きました。今度は僕も!と思います。たくさんの元気をもらいました。
背中に「走る.jp」と書かれたTシャツを来ていたので、追い越して行く外人さんから「はしるぅ~」と声をかけられて、歩いていたので、頑張って走りましょう!って、ことかと思ってたら、また追い越されて、その時背中の文字を読んでるんだって気づきました。
その後も、「走るJP頑張りましょう」って、こちらは日本人。こういうコミュニケーションもあるんだって。
苦しくなってからの本気の応援にまじウルっとなったりして。

先輩ランナーの助言

何しろ、準備不足、経験なしで望んだ初めてのウルトラ。自分の1日の最長距離は過去70kmほど、しかもずいぶん前。
そこで、走る前のいろいろな助言、LINEのトークでいっぱい頂きました。
朝が寒いこと、エイドに荷物を預けられること、薬必携なこと、雨対策のいろいろ、準備した方がよい、エナジーゼリーや飲み物。
ゼッケンにホチキスで薬を留めておくって便利だった。
何もが新鮮で、半分わからないまま、準備する物はして、望みましたが、とても助かりました。
例えば、ロキソニンなしでは40km過ぎでリタイヤしてました。絶対、あの痛みでは走れてません。エイドに荷物預けることも分からないので、知らなかったらあとでショック受けていたと思います。
とにかくほんとたくさんのアドバイスありがたかったです。

結果

記録は12時間36分、のようです。ロキソニンがもう1錠あれば、ラスト10kmも粘れたかも?!と思うと少し残念。でも、そもそもトレーニングして脚造りからしないとダメ。薬ありきじゃなくて、薬は最後の手段じゃないとね。
20km、1時間59分
40km。3時間58分
60km、6時間23分
80km、9時間03分
100km、12時間36分

帰路

ゴール後、Kちゃんと合流、でも調子悪そう。OS1飲んだり、暖めたりで休養しながら、落ち着いたところで移動。お風呂に行きたいとのことでしたが、僕は翌日が早いし、直帰でも12時頃になる時間、申し訳ないけど断りました。
途中まで一緒に帰ることになり、折角なので新東名で帰りました。最初のSAに入り、そばを食べて、Kちゃんは仮眠、僕は帰路へ。家に着いたのは1時を過ぎてました。
眠かったけど、途中、アイスクリームや炭酸飲料で目覚まし、けっこう効きました。あと、ブラックブラックタブレット、よく効きました。これが効かなきゃ、停めて寝るしかないと思います。


今回の教訓

レインポンチョは、エイドに起きましたが、面倒でも持たないとダメ!ですね。
今回、50kmと70km付近に荷物を預かるエイドがありました。僕が預けたのは50kmだけ、2箇所とも預けるという発想がなかった、どちらかだけ・・・
50kmで預けましたが、雨が降ってきたのは70km過ぎからゴールまで。ゴール後もですが、とても寒かった。
ロキソニンは3錠持とう!って間違ってる?
ガーミンはウルトラ対応の物を買おう!って欲しいだけ(^^)v
どの大会にもAZMさんはいるから探そう!って、ちょいネタ振りです(^_-)

事前の禁酒や鉄サプリもよかったかもしれない。内臓系は至って元気でありがたかった。次回も忘れないよう頑張ります。でも、脚が逝ってたので、内臓への負担が少なかっただけかも。

おまけのガーミンネタ

ガーミン405CX、ウルトラ未対応なので、この際何処まで計測出来るかやってみようということで、右手に100均腕時計、左手にガーミンをつけて走りました。
完全にバッテリー切れの状態まで、距離で67.02km、時間で7:02:50でした。参考まで。

今後に向けて

(1)次回ウルトラ
実はウルトラは諸事情で当分、いつ行けるようになるかわからない状況でしたが今回のことで、僕を取り巻く環境にまた行けるキザシが見えたようでとても嬉しいです。
このきっかけと作って頂けたHさんには感謝です。

(2)その他のレースも
併せて、富士五湖に行けたなら富士登山も行けるんじゃないかって、期待したり。ちょっと楽しみ。

最後に

昨日のLINEのチャット今、読みました、こちらもうれしい感動がいっぱいでした。ありがとうございます。
分からない方すいません。記録に残したいので、1行だけ書いておきます。

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